2016年12月9日金曜日

卻瘟神呪クリア!


卻瘟神呪(ぎゃくおんじんしゅ)は、普段では唱える機会があまりないお経ですが、僧堂(修行道場)では毎日唱えます。
伝染病の魔除けのお経とのこと。

これで22巻全てクリア!

入門まで残り約3ヶ月。
残りのミッションは、2つ。
1.観音経(かんのんぎょう)を覚えること。
なんと経本26ページ。。。
後半部分の世尊偈(せそんげ)は覚えたので、残りは前半部分の18ページです。

2.無門関(むもんかん)を読破すること。
無門関とは、13世紀に中国の宋時代の禅僧、無門が収集した公案集のこと。
臨済宗では、僧堂での修行中に公案(こうあん)という修行僧が悟りを開くための、なぞなぞのような問題が出されます。
例えば「犬に仏性があるのか。」「両手で手を叩けば音が聞こえる。では片手だとどのような音がするか。」「400メートル先にあるロウソクの火を消してみなさい。」
という公案が与えられます。
禅のテキストである「無門関」「臨済録(りんざいろく)」「碧巌録(へきがんろく)」等から出題され、禅の悟りに導かれます。

9月からお経を真剣に覚え始めてちょうど3ヶ月。
ひとまず、最低限やるべきことはクリアできました。

2016年12月8日木曜日

懺悔文&三帰戒クリア!


臨済宗では、懺悔文(さんげもん)は、葬式の際に唱えるお経で、三帰戒(さんきかい)は、葬式と結婚式で唱えるお経。

まず懺悔文から。これまでに犯した罪や過ちをを懺悔し改める言葉です。
『我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)』
私は、昔からたくさんの悪をなしてきました。

『皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)』
果てしない過去の世から、欲望と怒りと愚かさによって、

『従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)』
身の行いと、口にする言葉と、迷いの心から生じ、積み重ねてしまった悪です。

『一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)』
それらの全てを、私は今、懴悔いたします。

次に三帰戒。仏・法・僧に帰依することを誓います。
仏とは、仏様(悟りを開いた人)のこと。
法とは、仏様の教えのこと。
僧とは、仏様の教えを守り、修行・生活する人のこと。

残り1巻!

2016年12月7日水曜日

十仏名クリア!


十仏名(じゅぶつみょう)は、食事の時や、葬儀の際に唱えるお経です。
数字は”十”ですが、単に”10”ではなく”あらゆる”仏様という意味があります。

『清浄法身毘盧舎那仏(しんじんぱーしんびーるーしゃーのーふー)』
清らかでけがれのない毘盧舎那仏
※毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)とは、奈良の大仏で有名な仏様。
毘盧舎那とは、太陽の意味で、宇宙の中心から太陽のように照らし続けます。

『円満報身盧遮那仏(えんもんほうしんるーしゃーのーふー)』
欠点がなく完璧な毘盧舎那仏
※盧遮那仏(るしゃなぶつ)=毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)

『千百億化身釈迦牟尼仏(せんぱいかーしんしきゃむにーふー)』
千百億のたくさんの化身の代表である釈迦如来(=お釈迦様)

『当来下生弥勒尊仏(とうらいあーさんみーりんそんぶー)』
将来地上に下りて来られる弥勒仏
※弥勒仏(みろくぶつ)とは、仏となってこの世にくだり、衆生を救済するという仏様。

『十方三世一切諸仏(じーほうさんしーいーしいーしーぶー)」』
東・西・南・北・東南・南西・西北・北西の八方と上方・下方というあらゆる空間と、過去・現在・未来の時間のなかの全ての仏

『大聖文殊師利菩薩(だいしんぶんじーすーりーぶーさー)』
もっとも聖なる文殊菩薩
※文殊菩薩(もんじゅぼさつ)とは、智慧の菩薩とよばれ、「三人寄れば文殊の知恵」の”文殊”のこと。

『大行普賢菩薩(だいあんふーえんぶーさー)』
もっとも実践・修行を重んじられる普賢菩薩
※普賢菩薩(ふげんぼさつ)とは、あらゆる場所に現れて命あるものを救う慈悲を司る菩薩。

『大悲観世音菩薩(だいひーかんしーいんぶーさー)』
もっとも慈悲を重んじられる観世音菩薩
※観世音菩薩(=観音様)

『諸尊菩薩摩訶薩(しーそんぶーさーもーこーさー)』
諸々の尊き菩薩たち

『摩訶般若波羅蜜(もーこーほーじゃーほーろーみ)』
偉大なる究極の智慧

残り3巻!

2016年12月3日土曜日

三匙偈クリア!


三匙偈(さんしげ)も、粥座(朝食)、斎座(昼食)の時に唱えるお経。

『一口為断一切悪 (いっくいだんいっさいあく)』
1口目は全ての悪を断つ為に。

『ニ口為修一切善 (にくいしゅいっさいぜん)』
2口目は全ての善を修める為に。

『三口為度諸衆生 (さんくいどしょしゅじょう)』
3口目は生きとし生ける物を救う為に。

『皆共成仏道 (かいぐじょうぶつどう)』
皆、共に仏道を成就する為に。

残り4巻!

2016年11月28日月曜日

五観文クリア!


五観文(ごかんもん)は、主に禅宗において食事の前に唱えられる偈文。
宗派によって、若干お経が違うようですが、臨済宗は以下の通り。

『一つには功(こう)の多少を計り彼(か)の来処(らいしょ)を量る』
この食事が出来るまでに、いかに多く人の手間と労力が費やされているのか考え、自然への感謝の気持ちを忘れてはいけない。

『二つには己が徳行(とくぎょう)の全闕(ぜんけつ)を忖(はか)って供(く)に応ず』
自分の行いが、この食事を頂く価値があるかどうか反省します。
※全闕忖るとは、全(まっとうした)か闕(欠けている)かを推し量ること。

『三つには心(しん)を防ぎ過貧等(とがとんとう)を離るるを宗とす』
食べ物に対して不平や不満を抱かず、飲み過ぎ、食べ過ぎの貧る心を起こさないように誓います。

『四つには正(まさ)に良薬(りょうやく)を事とするは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり』
食事とは良薬であり、心身共に健康でいるために頂きます。

『五つには道業(どうぎょう)を成(じょう)ぜんが為に応(まさ)に此(こ)の食(じき)を受くべし』
この食事を頂くのは、己の道を成し遂げるためです。

17巻クリア。
あと1巻と思いきや、実は22巻覚える必要があることが判明したため、
あと5巻となりました。。。

2016年11月22日火曜日

折水偈&粥畢偈&食畢偈クリア!



折水偈(せっすいげ)&粥畢偈(しゅくひつげ)&食畢偈(じきひつげ)
喫粥偈・喫斎偈・生飯偈は食前に唱えるお経に対して、これらは食後に唱えるお経。

折水偈と食畢偈では、食事ができたことへの感謝の気持ちを伝える。
粥畢偈では、禅宗では生活そのものが修行という考えであるため、正しい食事作法で食事を頂くことが修行の道であることを肝に銘じる。

これで16巻クリア。
あと2巻!

2016年11月20日日曜日

四弘誓願文クリア!



四弘誓願(しぐせいがん)は仏教を信ずる者として、まず誓うべき四つの基本的な誓いです。

その誓いとは、
1.衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんどー) この世のあらゆる生き物が幸せになれるように勤める。
2.煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん) 尽きることのない煩悩を断つ。
3.法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく) 壮大なお釈迦様の教えをすべて学ぶ。
4.仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)最上の悟りを得て必ず成仏する。

若干の違いはあるようですが、どの宗派でも唱えるようですね。

残り5巻!

2016年11月19日土曜日

舎利礼文クリア!


舎利礼文(しゃりらいもん)。
このお経は、お釈迦様の遺骨(=舎利)に対して、礼敬の意を述べています。
枕経、葬儀、火葬場で唱えられます。
※枕経とは、亡くなられてからまず最初に行われる仏教儀式。故人の枕元でお経を唱えることから枕経と呼ばれます。

余談ですが、寿司屋でいうお米の「シャリ」は、色や形が火葬後の遺骨(=舎利)に似ていることから名付けられたようです。

意味としては、
一心に、あらゆる功徳を具えている釈迦如来に敬意をもって礼拝いたします。
我々が礼拝して敬えば、仏は我々の中に入り、我々は仏の中に入って、仏と一体になるのです。
そして、仏と心が通い合うために、我々は悟りを得るのです。
仏は人々に利益を与え、他者に対する慈悲(思いやり)を持ち、煩悩のない最高の悟りに到達します。
ですから、我々は今まさに礼拝するのです。

お経の意味がわかると、なぜその場面や時期に唱えるのか、が納得できますね。

残り6巻!

2016年11月15日火曜日

喫粥偈&喫斎偈&生飯偈クリア!


禅宗では、朝食のことを粥座(しゅくざ)と言います。お粥を頂くからです。
昼食のことを斎座(さいざ)と言います。清浄な食事という意味です。

まず、喫粥偈(きっしゅくげ)から。
『粥有十利(しゅうゆうじゅうりー)、饒益行人(にょういあんじん)、果報無辺(こほうぶへん)、究竟常楽(きゅうきんじょうらー)』

その意味は、お粥には10の利があって、修行者の役に立つ。その果報はきわまりなく、常に安楽となる。
ちなみに十利とは、
1:色 → 顔色を良くする
2:力 → 力がみなぎる
3:寿 → 寿命を延ばす
4:楽 → 食べ過ぎても苦しくならない
5:詞清弁 → 言葉が爽やかになる
6:宿食除 → 便秘にならない
7:風除 → 風邪をひかない
8:飢消 → 空腹を満たす
9:渇消 → 喉の渇きが消える
10:調適 → お腹の調子が良くなる

すなわち、血色を良くし、力を与え、寿命を延ばし、苦痛をなくし、言葉がはっきりし、胸のつかえが消え、風邪が治り、空腹が癒え、のどの渇きがなくなり、お通じがよくなるということ。


続いて、喫斎偈(きっさいげ)。
『三徳六味(さんてーるーみー)、施仏及僧(しぶきゅうずん)、法界有情(ほかいゆうじん)、普同供養(ふずんきゅんにょう)』

三徳とは「軽くあっさり」「清潔でさっぱり」「正しい手順で丁寧に」の三つ徳。
六味とは「淡い」「塩辛い」「辛い」「余り」「酸い」「苦い」の六つの味。

この意味は、御飯には三つの徳と六つの味つけがある。それを仏及び修行僧に施し、全ての世界に生きる者に、ひろく供養すること。


最後に生飯偈(さばげ)
『汝等鬼神衆(じてんきじんしゅう)、我今施汝供(ごきんすじきゅう)、此食遍十方(すじへんじほう)、一切鬼神共(いしいきじんきゅう)』

生飯というのは、餓鬼への施し。
お盆で読むお経『甘露門(施餓鬼)』の中に出てくる一節で、食事の際にも、この生飯偈を唱えます。
禅僧は、食事の際には必ずこの偈を唱えながら、自分のお椀に盛られたごはんをひとつまみ、鬼神・餓鬼・衆生へのお供えとして差し出します。

これで11巻クリア。
ちなみにお経は1巻、2巻、、、と数えるようです。
昔は、巻物になっていたことが由来とか。
残り7巻!

2016年11月10日木曜日

「山奥の禅寺でプチ修行」全3回終了!


11/10(木)に第3回目の「山奥の禅寺でプチ修行」という坐禅と写経のイベントを開催し、今回は5組9名のご参加。嬉しかったのは、地元から3名の方が、少しでも地域の賑わいになれば、と応援に駆けつけて頂けたこと。
外は4度と冬の訪れを感じる気温でしたが、今回も参加者に恵まれて会場内は非常に暖かい雰囲気でした(^^)

さて、9月から始まった全3回のイベントが無事終了しました。
私にとっても初めてのチャレンジで最初はすごく不安でしたが、予想以上に大勢の方に参加して頂き、何よりも喜んで頂けたことが本当に良かった!
人を受け入れるということはすごく気を遣いますし、エネルギーを消費しますが、3回とも心地よい疲れがまた快感でした。

全3回の参加者は26名。
結果は以下の通りです。

満足度:平均4.8
喜んで頂けて本当に良かった!
価格:平均4.2
お住まい地域による金銭感覚の違いがあるようです。
市街地に住む方は”お得”、近隣に住む方は”ちょうどよい”、と答えられる傾向がありました。


70代の方はほとんどが地元の方です。働き世代の方にも大勢ご参加頂けて良かったです!
圧倒的に女性が多かったです。男性はご夫婦やカップルで、一緒について来られた方がほとんどでした。
岐阜が一番が多く、次に近隣の関や郡上でした。
目安として1時間圏内。どうしても参加したい企画には2時間圏内、といった傾向があるような気がしました。

反省点も多々ありますが、自分自身もっと勉強して、次回は更に良い企画に磨き上げていきたいと思います。参加者、特に地元の方々から、”是非続けていってもらいたい。””檀家として地元としてすごく嬉しい。”という声を頂戴しました。
そのような声もあって、この3回のイベントを通じて、私にとって新たな目標ができました。
それは、”毎月1回は禅や仏教に関わる何かしらのイベントを開催して、人が集まるお寺にすること”です。

ご参加頂いた参加者の皆様、特に集客でサポート頂いたNPO法人ORGANの皆様、本当にありがとうございました!!

2016年11月8日火曜日

特別展「禅-心をかたちに-」


先日、東京国立博物館で開催中の臨済禅師1150年、白隠禅師250年遠諱記念特別展「禅-心をかたちに-」に参加して参りました。

臨済宗・黄檗宗15派の各本山や末寺、塔頭に伝わる高僧の肖像や仏像、絵画、工芸など多彩な美術品の展覧会で、日本における禅僧たちの足跡や禅宗の教えが日本文化に対して、果たしてきた役割が紹介されています。

会場内は一切の写真撮影、スマホ操作、鉛筆以外の使用禁止など、かなり多くの制約があり静寂な雰囲気でしたが、非常に大勢の方で美術品を見るのに人とぶつかるほどの盛況で、禅の人気を感じました。

興味深かったのは、戦国武将と禅僧との関わり。
戦国時代、織田信長、今川義元、武田信玄、伊達政宗など名立たる戦国武将のブレーンが禅僧であり、禅僧は武将に対して、禅の教えを説いたり、時に参謀として戦略の相談に乗ったりしたようです。武田信玄や上杉謙信、黒田官兵衛のように自ら出家した武将もいるわけで、禅の何に惹かれたのか、大変興味深いです。このテーマに関してリサーチし、近い将来のうちにブログで紹介したいと思います。

この特別展は、11月27日まで開催していますので、ご興味のある方、是非行ってみて下さいね!

会場内ショップで見つけたのがこちらの2冊。
・「ZEN 更新を続ける21世紀の禅」
日本の禅から世界のZENへ。
禅とZENを取り巻く伝播の背景や、アメリカ西海岸での最新のZENの実態が気になり購入。
距離的になかなか行けない場所ですが、いつか現地訪問して、直接熱を感じたいところです。
・「How to do ZAZEN」
修行僧のほとんどが外国人である岡山・曹源寺の住職、原田老師が坐禅の入門手ほどきを英訳したもの。
外国人に対して禅や坐禅をどのように伝えているのか気になり、また語学習得も兼ねて購入。
禅寺で唱えるお経を英語訳されてるのも非常に興味深いです。
曹源寺には、専門道場での修行を終えてから訪問できればと。

2016年10月16日日曜日

世尊偈クリア!


世尊偈(せそんげ)とは、観音経の後半部分のこと。
「世尊妙相具(せそんみょうそうぐー)」と唱え始め、偈(詩)で書かれているため、世尊偈と呼ばれています。

世尊偈は経本だと8ページ分の長さですが、今回は覚えるのに2週間かかりました。。。
今までとは違ってなぜか記憶が定着せず、覚えたと思ったら覚えた箇所を忘れてしまうのを繰り返し、苦労しました。

では、内容に触れたいと思います。
観音経は、今を生きる人に大切な教えを説いてくれるお経だと思います。

観世音菩薩(=観音様)が、私たちが人生で遭遇するあらゆる苦難に際し、観世音菩薩の偉大なる慈悲の力を信じ、その名前を唱えれば、必ず観音様がその音を聞いて救ってくれる。
そして自らが観音様になり、慈悲をもって困っている人を助けしなさい、というのが観音経の教えです。

あらすじは、無盡意菩薩(むじんにぼさつ)という菩薩が、お釈迦様に「どういうわけで観世音菩薩は”観世音菩薩”という名前がつけられているのでしょうか。」と質問し、その質問に対して、お釈迦様が回答します。

その回答とは、観世音菩薩は、多くの苦しんでいる人の事情や境遇に合うように三十三身に変化して救ってきました。
つまり、世の音を観ずる(知る、察する)という意味で、観世音と名付けられたのです。

その後にどんな功徳があるのか具体的に挙げられます。
わかりやすいものをいくつか紹介します。
・悪鬼や毒蛇に出遭っても、かの観世音菩薩の力を念じるならば、害されることはないであろう。
・悪獣に取り囲まれて鋭い爪や牙などで迫ってきても、かの観世音菩薩の力を念じるならば、たちまち遠方に行ってしまうであろう。
・トカゲ、蛇、マムシ、さそりのような毒虫が毒を出し迫ってきても、かの観世音菩薩の力を念じるならば、その声にしたがって逃げ去っていくであろう。
・雷が太鼓のように鳴り響くとか、稲妻が光るとか、ひょうが降ってくるときでも、かの観世音菩薩の力を念じるならば、たちまち静まって害をうけることはないであろう。
・大勢の人びとが色々な困難に遭い、はかりしれない苦しみが身に迫ってきた時、観世音菩薩の最も優れた不思議な智慧の力によって、大勢の人を世間の苦しみから救っているのである。
・観世音菩薩は色々な悪趣におもむき、地獄、餓鬼、畜生、生老病死の様々な苦しみを次々救っていくであろう。

そして最後は、
お釈迦様が観世音菩薩のお話をされた時に、その場にいた八万四千人の人々は皆、最高の悟りを求め、それに向かうと決心したところで、終わりです。

観音経は世間に伝えていきたいお経の一つです。
お経の意味がわかると、仏教やお寺がもっと身近な存在になるのではないかと。
お寺でお経解説の講座をしてもよし、お経クイズやお経アプリをつくってもよし。
できそうなことがたくさんありますからね。

これで8つクリア。
ようやく折り返し地点です!

2016年10月12日水曜日

「山奥の禅寺でプチ修行」2回目終了!

9月に続き、10/12(水)に「山奥の禅寺でプチ修行」という坐禅と写経のイベントを開催しました。
平日開催だけど、本当に参加してくれる人はいるのかな、、、と心配していましたが、
平日の方が参加しやすい方もいらっしゃるようで、今回は7組11名の初の満員御礼。

前回も岐阜市と一宮市と遠方からでしたが、ありがたいことに今回も愛知県三河地方や岐阜県西濃地方のような片道1時間半や2時間以上かかる遠方からお越しの方もいらっしゃいました。
アクセスが悪くてもコンテンツ次第なのだと改めて実感。

禅や写経など非日常体験に興味がある方や、以前に上之保にある小学校の先生をされていた方、菩提寺以外のお寺に興味がある方、ご近所の方がお越しになられました。
参加者曰く、岐阜県内では、坐禅や写経などの体験がしたくてもできるお寺が少ないようです。
定期的に仏教や禅に触れられるお寺が増えるといいですよね。

さて、前回の反省点を踏まえ、終了時間がオーバーしないように、読経を2回、坐禅を15分×1回に、前回とは少し内容を変更。

<内容>
・自己紹介
・般若心経クイズ
・読経(般若心経)×2回
・坐禅 15分×1回
・写経(般若心経)
・おやつタイム(ゆずのパウンドケーキ)
・振り返り
・境内散策(希望者のみ)




参加者の方からはすごく喜んで頂けたみたいで良かったのですが、やはり全体で2時間はオーバーしてしまう。。。
最初から所要時間が2時間半とした方が良いかもしれない。
やってみて分かることがたくさんあります。今回もたくさんのことを学ばせて頂きました。

次回の11月は最終回。
次回はどんなご縁があるのか、楽しみにしてお待ちしております(^^)

2016年10月1日土曜日

仏頂尊勝陀羅尼クリア!


”仏頂尊勝陀羅尼(ぶちんそんしんどろに)”は、病悩消滅・長寿安楽・厄難除去の功徳があるとされている陀羅尼(呪文)です。

仏頂とは、仏様の頭のこと。
仏様の頭は独特な形をしています。頭のてっぺんが盛り上がり、大きなぽっちがあります。
それが仏様の証拠ということになり、いつのまにか仏様の頭頂部分を信仰する仏頂崇拝が生まれ、頭頂部分だけが仏様になった仏頂尊が誕生しました。
この仏頂尊の力を持つのが、仏頂尊勝陀羅尼ということになります。

日本で一般に良く知られたものであったことは、
この陀羅尼によって、百鬼夜行から救われたという話が「今昔物語」に書いてあります。

「今昔物語」には、藤原常行(平安時代の貴族)が百鬼夜行(鬼や妖怪が夜に列をなして歩き回ること)に出会った際に、仏頂尊勝陀羅尼を写経したものを身につけていたために、鬼に食べられずにすんだというエピソードが残っています。
京都の「東寺」に、仏頂尊勝陀羅尼が刻まれた石碑が残っているようですので、いつか見に行きたいものです!

先日紹介した”大悲呪”と同様に、陀羅尼です。
陀羅尼は漢文に翻訳せず、原文のサンスクリット語をそのまま唱えるため、意味が全く分からず、覚えるのにかなり苦労しましたが、今回は5日でクリア!
お経を覚えるコツを少し掴めたような気がしています。

自己流ですが、お経の覚え方をちらっとご紹介します。
例えば、

「びしゅだやー ぼだやー ばぎゃばてい」
⇒電話機を押すイメージで、(頭文字が)”ピポパ”

「はらだー ◯◯ そばはんばー 」
⇒原田さんが蕎麦を作っている。

「あゆさんだらにー ◯◯ うしゅにしゃ」
⇒鮎が鵜に食べられる。

「ただだぼだー くち はりびしゅてい」
⇒ぼた餅を口から食べる。

文字にしてみると、かなりふざけているようですが、極めて真剣です(笑)
パーツパーツに関連性をもたせると高い確率で定着します。
お経以外にも応用できそうなので、オススメです。

次はいよいよ観音経!
なんと経本26ページに渡る長編です!!
果たして、いつになったら覚えられるのやら。

2016年9月27日火曜日

延命十句観音経クリア!


”延命十句観音経”は、十句しかない、たった42文字の短いお経。
今回は1日でマスターです!

真の信心をもって延命十句観音経を唱えると、
病気が治ったり苦しみが消えたりのご利益あると言われています。
短いお経なので全文紹介します。

<全文>
観世音   南無仏
与仏有因  与仏有縁
仏法僧縁  常楽我浄
朝念観世音 暮念観世音
念念従心起 念念不離心

<和訳>
観音様。
私は仏様にすべてをおまかせします。
私どもは仏様と同じ因、縁をもった世界に生きております。
仏・法・僧のご縁によって、常・楽・我・浄の観音様の四徳が私の身にいただけますように。
わたしは、朝と夕べに観世音を念じます。
この一念は私の心中に秘められている仏の心の願いでございます。

※四徳とは
常徳:無常の世の中を生きていくのに無常を大切にしていくと、やがては不安のなくなる平常心。
楽徳:苦の世の中を生きるには、苦をよく噛みしめていくと苦から色々教わり苦が苦痛でなくなる安楽。
我徳:自分ひとりの力で生きるのではない様々な縁に助けられ支えられて生かされ、他を生かしていく利己利他の精神。
常徳:苦・楽を分け隔てしない、浄・不浄を選り好みをしない平等の智慧と慈悲。


これで6つ。まだまだ。

2016年9月26日月曜日

白隠禅師坐禅和讃クリア!



”白隠禅師坐禅和讃”という日本語になっていて他のお経よりは覚えやすいはずなのですが、
予定よりも時間がかかり、10日ほどかかってしまいました。

「白隠禅師」とは江戸時代の禅僧、白隠慧鶴(はくいん えかく)のことで、
「坐禅和讃」とは漢文表記であった坐禅の本質・目的を日本語で解説したもので、民衆にも分かりやすく説いたもの。
例えば、衆生本来仏なり(私たちも本当は仏である)、それ摩訶えんの禅定は称歎するに余りあり(心を落ち着かせることは私たちにとって大きな支えになる)、無念の念を念としてうたうも舞うも法の声(こだわらずに心おだやかに毎日を過ごす行いが周りの人を救う)などです。

白隠禅師は偉大な禅僧で、「臨済宗の中興(ちゅうこう)の祖」と言われています。
江戸時代に幕府がつくった檀家制度によって僧たちは布教や修行をしなくなってしまいました。
そんな中、白隠禅師は人々に教えを説き、弟子を多く育て、型にはまって分かりづらかった禅(坐禅や公案など)を分かりやすく示し、日本中に広められました。

奇しくもこの秋に白隠禅師250年遠諱記念の展示会があります。
「禅 心をかたちに」@東京国立博物館 2016年10月18日~11月27日
http://rinnou.net/rinzai1150/exhibition/tohaku-ivent.html
これは見に行くしかありませんな!

2016年9月25日日曜日

「山奥の禅寺でプチ修行」1回目終了!

9/25(日)に「山奥の禅寺でプチ修行」という坐禅と写経のイベントを開催しました。
これまで、檀家さん以外の方を対象としたイベントを行うことは滅多になく、
集客に自信がなかったので、長良川おんぱくに参加して、事前準備を進めてきました。

長良川おんぱくは、かなり人気で集客力があるとのことでしたが、
本当に申し込みがあるかな、、、と心配していましたが、さすがの長良川おんぱくでした!
4組8名の方に参加して頂きました。年齢は20代~40代とお若い方ばかり、岐阜市と一宮市の市街地からのお越しで、禅や写経、非日常体験に興味があって参加して頂いたようでした。

プチ禅寺修行体験をコンセプトに、普段お寺や禅に関わる機会がないけど興味がある、という方を対象に企画しました。
<内容>
・自己紹介
・般若心経クイズ
・読経(般若心経)
・坐禅
・写経(般若心経)
・おやつタイム(シフォンケーキ&ゆずジャム)
・振り返り
・寺院散策(希望者のみ)

般若心経がどんなお経か知ってもらうためにクイズを、般若心経の唱え方の解説を、坐禅は前半は15分、後半は10分という短時間に、上之保地区はゆずの産地なのでゆずを使ったおやつを用意させて頂きました。



アンケート結果の評価も高く、お得感があったという声を頂き、満足して頂けたようで良かったです(^^)
次回に向けてフィードバックも頂き、これからやるべきことが明確になりました。
<頂いた感想>
・初めての坐禅、写経でしたが、とても良い経験になりました。
・日常と違った体験ができた。「空」「無」を思い出し、日常生活に取り入れていければと思った。
・楽しかったです!
・貴重な体験が出来て良かった。
・坐禅と写経は、自宅でも実践していこうと思います。
・時間も2時間程度でちょうど良かったです。
・上之保地区の飲食店の鰻丼が美味しかったです。

<頂いた改善案>
・読経は2回の方が良い。1回目で唱え方を覚えて、2回目で本番のように。
・般若心経を日本語で翻訳して欲しい。
・警策(坐禅の時に肩を打つ棒)で叩かれる合図を出すタイミングが分からなかった。
・写経に時間がかかったので、たっぷり時間をとって欲しかった。
・アクセスが良くないので、主な観光スポットなどからかかる時間の目安を教えて欲しかった。
・予定していた解散時間をオーバーしてしまったので、時間に余裕を持ってスケジューリングした方が良い。

次回は10/12(水)。今回頂いたフィードバックを基にしっかりと反省して、次回に繋げていきます!
今回参加して頂いた皆様、ありがとうござました!!

2016年9月13日火曜日

大悲呪クリア!

先日のブログでも触れたように、とにかくお経を覚えないことには話にならないため、起床後や就寝前、車での移動中など、すきま時間を使ってお経を唱えるようにしています。

お経というのは、意味がよくわからないことや現代語に翻訳できないことが多いので、覚えるのに骨が折れます。新たな箇所を覚えては覚えたはずの箇所を忘れる、そしてまた覚え直す、、、の繰り返しで、3歩進んで2歩下がります。

でも集中して尚且つ時間をかければ何とかなるもので、1週間で”大悲呪(だいひしゅ)”というお経を覚えました!”呪い”という文字が使ってあるので、恐ろしいお経なのかと思ってしまいますが、呪いではなく呪文ということです。


大悲呪の正式名は”千手千眼観自在菩薩廣大円満無礙大悲心陀羅尼経”といって、千手千眼をもつ観世音菩薩(観音様)の大慈悲心(思いやり)をあらわした陀羅尼(呪文)です。
観世音菩薩様のお慈悲を持って、私達の犯した罪の清浄を願う言葉であり、観音様に直接働きかけています。例えば、「慈悲深き観音様よ、喜びを与える者に幸あれー。」「貪欲や激しい怒り、愚痴の害毒を除こう。心の汚れを取り去りたまえー。」という言葉が続きます。

臨済宗では、食事前の勤め、法要、葬儀、行事など、般若心経と同じくらいよく唱えるお経で、リズムが良いので耳に残るお経ですよ。

これで覚えたお経は4つ。
まだまだ先は長い。。。

2016年9月10日土曜日

新米僧侶向けの研修会へ

先日、2泊3日の新米僧侶向けの研修会に参加するため、本山妙心寺に行って参りました。
これから僧堂(禅僧の専門道場)に入門する禅僧が対象で、参加者は私含め8名。
私が最年長で、ほとんどが大学3~4年生でした。
妙心寺山門。

禅僧が身に付けるべき作法や礼儀を学ぶこと、僧堂を体験することが目的であり、想像以上の内容でした。。。

禅宗では日常生活全てが修行と捉えていて、衣や袈裟の着方や脱ぎ方、掃除の際の格好、食事の取り方、お茶の飲み方、お経の読み方、坐禅の組み方、風呂の入り方等、全てに作法があります。
一通りの作法を2泊3日で指導していただいたのですが、とにかく覚えることが多い。
そして一度教えていただいたことを間違えると、容赦なく怒鳴られる。

一番衝撃的だったのが、食事。
朝食のことを粥座(しゅくざ)、昼食のことを斎座(さいざ)、夕食のことを薬石(やくせき)と言います。
とにかく食べる量が尋常じゃなく多い。ご飯は基本3杯で、2日目の斎座ではうどんが5人前+白飯1杯、更に夜食として22時にうどん1杯と1合のおにぎり1個。
そして、どんなにご飯やお茶が熱くても早く飲食して、少しでも時間を無駄にしてはいけないという考えのようで、まるで毎食が大食い選手権のようでした。
ただ救われたのは食事は精進料理でしたが、全て美味しかったこと。がんもどき、ナスの揚げ浸しは、特に絶品でした。

次に、読むお経の種類が多いこと。研修会では15種類。お恥ずかしながら3種類しか覚えていないので、話になりません。
僧堂に入るまでに出来れば15種類覚えてから入門することを勧められました。覚えていないと、僧堂では自由時間は就寝後しかないため、睡眠時間を削って覚えるしかないとのこと。
何としてでも、あと約半年で12種類覚えねば。。。

そして、寝る時の作法。敷き布団と掛け布団、枕というのは存在せず、柏布団という正方形に近い1枚の布団を2つ折りにして、柏餅のように包まって寝ます。枕がなく、顔を覆う必要があり、息苦しくて、暑くて頻繁に目が覚めてしまいました。。。

6:00から23:00まで、坐禅、読経、食事、掃除、坐禅、読経、食事、、、風呂、、、とエンドレスで続き、休憩といえば、トイレ休憩と水分補給の10~15分程度がこまめに間に入ったくらいで、目まぐるしい3日間でした。
この3日間で、僧堂というのはどんな場所なのか少しだけ理解できたような気がします。
世間との縁を断って厳しいルールの中で共同生活を送ることは辛いことですが、一定期間過ごすことで、気づいたら禅僧としてのスキルが習得出来ている、言わば、修行道場という名の禅僧のトレーニングセンターなのだと。

同じ日本でありながら、知らない世界がたくさんあります。
ほんの僅かですが禅の世界に触れることが出来、日々の何気ないことの有り難みを感じています。好きな量だけご飯を食べる、ゆっくりお風呂に浸かる、家族と一緒に過ごす、ふかふかの布団で寝る、笑う、、、。

僧堂生活を1年以上過ごすことを想像するだけで背筋が凍りますが、一人前の禅僧になるための登竜門なので耐えるしかありません。
厳しい中にでも、自己成長や下山後の周りにいる方の笑顔など、前向きになれる方法を見つけていきます。

学徒(臨済宗妙心寺派の檀家や寺関係者)向けの1泊2日の研修もあるので、ご興味ある方は、菩提寺に相談されてみて下さいね。

2016年8月22日月曜日

施餓鬼会終了!

一年で一番大きな行事、施餓鬼会が終わりました。
私のいるお寺では、曜日関係なく毎年8月21日と決まっていて、今年は日曜日ということもあって、
例年よりも多くの方々に参列していただきました。確かな数は分かりませんが、150名以上とか。

私にとってのデビューであり、記念すべき一日となりました。
そして、とっても長い一日でした。。。

施餓鬼会当日の様子を簡単に紹介します。
<一日の流れ>
8:00  婦人部役員到着 お斎(おとき)の準備開始。
    ※お斎:法要で提供される食事のこと。炊いたご飯は6升、何と120人前!
9:00  寺の総代到着
    ※総代:理事のような役職で、うちの宗教法人では総代が5人と決まっていて、そのうちの1人が住職。
10:00 会計・役員到着 参列者が増え始める。
11:00 お斎(おとき)開始
    ※写真がないのが残念ですが、メニューは、炊き込みご飯、ポテトサラダ、煮物(かぼちゃ、ひじき、なす・ピーマンなど)、漬物。人気は、炊き込みご飯とポテトサラダ。普段は1杯しか食べない方も2杯召し上がります。
13:00 お手伝いしていただく近隣のお寺の和尚7名到着
13:10 参列者の前で私と妻のお披露目と挨拶
13:30 施餓鬼会開始

15:30 施餓鬼会終了
16:00 会場片付け開始
17:00 役員との直会開始
19:00 解散

さて、私の役割は太鼓と木魚でしたが、何とか無事に終わりました。
太鼓では、事前に聞いていたタイミングで住職が入場されるはずなのに入場されない、とか、
木魚では、お経が読み終わるのに、参列者のお焼香が終わらないので、急遽遡ってお経をリピートするとか、ハプニングはあり、小さなミスをしてしまいましたが、どうやらバレていないようでした。。。

半数以上の檀家さんがいらっしゃる前で、デビューさせてもらえて、ようやくスタート地点に立てたような気がします。
直会では役員さんから、地域の歴史、暮らしの様子、地域の未来、今後のお寺のあるべき姿など、色んなお話を聴かせていただき、お寺にご理解がある方が大勢いらっしゃることはありがたいことですし、それだけ期待も感じ、改めて身の引き締まる思いがしました。

一日色んなことがあって疲れましたが、心地の良い疲れでした。
次の行事、3月に開催される大般若(だいはんにゃ)に向けて、やるべきことが明確になりました。

2016年8月20日土曜日

いよいよ明日

いよいよ明日に迫った施餓鬼会(せがきえ)。
会場設営が完了し、この本堂に100名以上の方が集まるのかと想像すると何だか緊張してきました。

ちなみに、前回のブログにも書きましたが、餓鬼とは、生前の悪行によって成仏していない霊や魂の事を言い、常に飢えと乾きに苦しんでいる者を指します。施餓鬼とは、そういう者たちにも食べ物や飲み物などの供物を施すことで餓鬼やご先祖様の供養を行う法要行事です。

ところで、施餓鬼会でも使う五色幕(ごしきまく)。お寺にお参りすると見かけることがあると思います。この5色はお釈迦様の教えを象徴的に表した色だと言われ、今日まで伝えられてきました。


・緑 - 釈迦如来の毛髪の色で、心乱れず穏やかな状態で力強く生き抜く、禅定(ぜんじょう)を表す。
・黄 - 釈迦如来の身体の色で、豊かな姿で確固とした揺るぎない性質、金剛(こんごう)を表す。
・赤 - 釈迦如来の血液の色で、大いなる慈悲の心で人々を救済する事が止まることのない、精進(しょうじん)を表す。
・白 - 釈迦如来の仏歯の色で、清らかな心で諸々の悪業や煩悩の苦しみを清める、清浄(しょうじょう)を表す。
・紫 - 釈迦如来の袈裟の色で、あらゆる侮辱や迫害、誘惑などによく耐えて怒らぬ、忍辱(にんにく)を表す。

そして、五色幕をよく見ると文字が書いてありますが、それらは如来という仏様の名前です。
開甘露門(施餓鬼)というお経に登場する仏様で、右からお経に登場する順番で並べてあります。
・宝勝如来(ほうしょうにょらい/別名:多宝如来):貪りの心を癒し、無限の富を約束する。
・妙色身如来(みょうしきしんにょらい/別名:薬師如来):美しい体と健康に恵まれる。
・広博身如来(こうばくしんにょらい/別名:大日如来):餓鬼の喉を広げて飲食ができるようにする。
・離怖畏如来(りふいにょらい/別名:釈迦牟尼):すべての悩み苦しみの元である恐怖から目覚め、現実に立ち向かう勇気を与えられる。
・甘露王如来(かんろおうにょらい/別名:阿弥陀如来)とてもおいしいきれいな水で身も心も潤う。
というように、五色幕は5つの功徳を発揮するシンボルということになります。

今回、新たな発見だったのが、”大日如来=密教”、”阿弥陀如来=浄土系”というイメージがあり、禅宗には関係のない仏様だと思っていましたが、そんなことは全く無く、今まで間違った解釈をしていました。

残す作業は、施餓鬼旗(せがきばた)のみ。
施餓鬼会当日に、ご先祖様の戒名が書かれた卒塔婆(そとば)という木の板と一緒にお配りします。こちらも、五色幕と同じ色を使っていて、お墓参りの際に卒塔婆と一緒に飾ったり、仏壇の前やお盆の棚に飾って使用します。

ちなみに、私のいるお寺では施餓鬼旗は全て手作りで行います。
なかなか大変な作業なので、外注するお寺も増えているようですが、昔ながらのやり方を続けています。
竹はご近所の90歳近い方に準備していただきます。伐採から、全て同じ長さにし、さらに5色の紙を挿しやすいように切れ目を入れるところまで。竹に5色の紙を挿すのは、お寺の役員の方々に、前日作業をしていただきます。

今回、施餓鬼会の準備に関わり、よく分かったのは、施餓鬼旗や、8月上旬にお寺の婦人部の方々にお越しいただいたお寺の大掃除など、ご近所や檀家など大勢の方々に支えていただいて、お寺が成り立っていることです。
本当に有り難いことです。

いよいよ明日!

2016年7月27日水曜日

遂にデビュー

岐阜に帰ってもうすぐで4ヶ月が経ちます。
まずは守破離の「守」ということで、師匠による指導の下、作務(さむ:掃除など)、勤行(ごんぎょう:読経や坐禅など)、学問など修行を通じて仏教や禅と向き合ってきました。

まだ修行道場の経験がないため、葬儀や法要の勤めは出来ないこともあり、僧侶として表に立つことはありませんでしたが、遂にデビューです。

毎年8月に「施餓鬼会(せがきえ)」という檀家の方々が80~100名ほど集まる寺の行事があるのですが、施餓鬼会でお勤めさせて頂くことになりました。

ちなみに、餓鬼とは、生前の悪行によって成仏していない霊や魂の事を言い、常に飢えと乾きに苦しんでいる者を指します。施餓鬼とは、そういう者たちにも食べ物や飲み物などの供物を施すことで餓鬼の供養を行う法要行事です。

私の担当は、開会時の太鼓と、読経時の木魚。
叩くだけか、と最初は思いましたが、その叩くだけがなかなか上手くいかないものです。。。
上達するためにはとにかく経験!

太鼓と木魚は、新人や若手の仕事。
社会人経験でいうと10年という中堅ですが、僧侶では1年生。
小学校・中学校・高校・大学・社会人・大学院など、過去全てそうでしたが、期待と不安が入り混じって常にそのバランスが揺れ動く1年生の時期が好きです。
今もそう。きっと未知の世界が好奇心をそそるのでしょうね。

まずは施餓鬼会で与えられた役割を完璧にこなすこと!
残り3週間、、、。

2016年7月15日金曜日

おてらおやつクラブ

お寺として地域社会とどう関わるか、どう役に立てるか。
答えは一つではなくいくつもあり、自分なりの答えを探している最中です。

その答えの一つになるかもしれない。

先日、SNSで『おてらおやつクラブ』の存在を知り、活動に参加させていただくことになりました。

おてらおやつクラブは、お寺へのお供え物を、仏さまからのお下がりとして頂戴し、
経済的に困難な状況にあるご家庭へおすそわけする活動。
全国379カ所のお寺が登録されているとのこと。(2016年7月15日現在)
http://otera-oyatsu.club/



日本の子どもは6人に1人が貧困層にあたり、その割合は増え続けているという。
正直なところ、まだ実感がなく、この活動によって、どれほど役に立てているのか、
半信半疑ではありますが、”継続は力なり”という言葉にもあるように、
活動を続けることに意義があると思うので、何かしらの結果が出るまでの一定期間は続けることにします。

あと、この活動の可能性を感じているのは、お寺同士、横の連携が出来ることです。
同じ宗派であれば繋がりがあるのですが、宗派が異なると、ほとんど繋がりがないのが現状です。
読むお経は違えども、目指しているものが近ければ連携した方がお互いにとって良いはず。

いきなり大きなことはできませんが、小さなことからコツコツと。

2016年7月1日金曜日

お寺のルーツ

観光などでお寺参りをすると、
”このお寺の創立は◯◯年で、●●という歴史があって、、、”
という説明書きがあったり、住職が説明されることがよくあると思います。

先日、同じ宗派のお寺参りをした時もそうでした。

では、実家のお寺はどうかというと、
住職が祖父の頃までは、子どもながら何となく記憶がありますが、それ以前のことは全く聞いたこともなく、知りませんでした、、、。

無性にツールを知りたいという意欲を掻き立てられ、最近はお寺のルーツについて研究しています。

漢文で書かれた昔の書物を解読することになるので、一度読んだけだけでは理解ができず、何度も読み返すうちに理解できたり、違う箇所に書かれた文章が繋がったりして、謎解きゲームのようでなかなか楽しいです笑

まず、村誌によると、由緒は不明ですが、室町時代の1532~1558年に創立したようです。
そして、12世住職が残された寺籍録によると、江戸時代の火災での全焼、明治時代の廃仏毀釈による破壊という2度の危機的状況を、当時の住職の努力や、檀家やご近所の方々によって支えられ、乗り越えてきたという事実も知りました。
今の本堂は明治33年(1900年)築で、明治の復興の際に建てられたということになります。
また、江戸時代、村内には4箇所お寺がありましたが、廃仏毀釈によって復興したお寺は2箇所、残りの2箇所は廃寺になったそうです。。。

奥が本堂。

12世住職直筆の寺籍録。

でも、書物だけでは限界があります。分からないことだらけです。。。
今の住職に聞いても分からない。どうしたものかと困っていたら、
12世住職の娘さんがご健在であると風の便りに聞き、居場所を教えてもらい会いに行ってきました。

戦前の頃は小僧さんと共同生活をしていたこと、
戦前は、かなりの農地を持っていたが、戦後の農地開放政策により農地を手放したこと、
人が集まりやすくするためにお寺の移転計画があったこと、
12世住職が住職だった頃は移動手段がなかったため、山を越え谷を越え、ひたすら歩いて檀家さんのお宅まで通ったこと、
などなど、22歳まで過ごされていた方ならではのリアルなお話がお聞き出来ました。

現在14世。
私が継ぐことになれば15代目ということになります。

先代の住職はどんな想いで毎日のお勤めをされ、また数々の困難乗り越えられてこられたのでしょう。
先代住職の想いに馳せながら、日々の精進に心がけていくことを再認識した今日この頃です。

2016年6月15日水曜日

お経について

こないだブログに書いた般若心経ですが、浄土真宗など一部の宗派では唱えないんですね。
最近まで知りませんでした。。。
あと宗派によって唱えるお経が全然違うんですね。
それぞれ意味があると思うのですが、それに関しては少しずつ調べていこうかと思います。

さて、今回はお経について。
お経とは、
ブッダが、45年かけて説いた教えである「経」
ブッダの弟子が守らなければいけない約束事や禁止事項である「律」
教団の学僧たちがブッダの教えを分析した「論」
この3つを総称してお経と呼びます。
日本でのお経の数は約3000部で、ほとんどが「経」のようです。

お経に触れる機会といえば、お葬式や法事のみという方も大勢いらっしゃるかと思いますが、
本来はお葬式や法事で唱えるためのものではなかったようです。
更に原初の仏教には、死者を供養する儀式はありませんでした。
中国で儒教の儀礼が仏教に取り込まれてから、日本に伝来にしたことがその理由と言われています。

でも、お経というものは、本当は生きているうちにこそ読まれるべきものだと思います。
臨済宗で般若心経と共に、よく唱えられる観音経も今を生きる人に大切な教えを説いています。
その教えとは、観世音菩薩(=観音様)が、私たちが人生で遭遇するあらゆる苦難に際し、観世音菩薩の偉大なる慈悲の力を信じ、その名前を唱えれば、必ず観音様がその音を聞いて救ってくれる。そして自らが観音様になり、慈悲をもって困っている人を助けしなさい、というのが観音経の教えです。

あのニ宮尊徳も観音経に強い信仰があったと言われています。
報徳記によると、若い時にある行脚の僧が観音経を唱えているのを聴いて観音経の奥義を悟り、
自ら二宮尊徳観音になって貧しい農村を救うことに一生を捧げたのです。
尊徳は、自分が強く願いさえすれば、必ず救われることを信じ、それを生涯のモットーとしたのかもしれませんね。

お経の意味を正しく理解し、分かりやすく解説すること。
これも僧侶がしなれければいけない務めだと思います。

2016年6月8日水曜日

はじめの一歩

久しぶりの更新です。
最近は、不足する仏教や禅に関する基礎知識を蓄積すべく、情報のインプットへの時間を大切にしているのですが、お世話になっているのが市立図書館です。
初心者や子どもにもわかりやすく仏教や禅を解説している本が充実していますし、何といっても無料で利用できるのは嬉しいですね。

特に感じるのは、仏教や禅を知れば知るほど今を生きる人にとって、生きていくうえで大切なヒントを与えてくれるものだ、ということです。
やはり、情報過多であったり、時間に急かされたりと精神的ストレスを感じやすい現代社会において、禅は自分自身を見つける良い機会を与えてくれます。
その中でも、超多忙な働き盛り世代に何か出来ることを考えていきたいなぁと。。。

まだ明確な答えは見つかっていませんし、その答えを見つけるために、はじめの一歩として「長良川おんぱく2016」に参加し、禅を取り入れたプログラムを提供させていただくことにしました。
※長良川おんぱく:長良川流域の各地で開催される、地域の人と場所の魅力を体験するイベント。


全国のおんぱくでは、以下のようなお寺を活用したプログラムが開催されてましたよ。
・坐禅
・写経
・念珠ブレスレットづくり
・修行体験
・ヨガ
・精進料理

開催期間は9月下旬~11月下旬。詳細は今月末までに決まりますので、決まりましたらお知らせします!

2016年5月25日水曜日

禅とは何か。

今回のテーマは、禅について。
禅に対して、どんなイメージをされますか。
「坐禅でビシビシ打たれる。」
「禅問答で、”無とは何か?”など、わけのわからないやりとりをする。」
「厳しい修行をする。」
何となく難しそう、というイメージを持たれている方が多いと思います。

禅とは、本を読むだけでは到底理解出来ないくらい奥深いものらしいのですが、
平たく言うと”心おだやかに生きる智慧”のようです。
禅では、”日常生活の全てが修行”という考えですので、日々の暮らしを丁寧に行っていくことで、
周りや他人に振り回されることなく、自分らしく素直に生きることの大切さを身につけていくことが出来るようになるとのこと。

禅の教えを示すキーワードとして、以下の4つが挙げられます。
・不立文字(ふりゅうもんじ):文字にとらわれず、感性を研ぎ澄ます精神修行に励む。
・教外別伝(きょうげべつでん):文字や言葉では伝わらないお釈迦様の教えを心と体で受け止める。
・直指人心(じきしにんしん):心を濁らす雑念を取り除き、ありのままの自分を見つめる。
・見性成仏(けんしょうじょうぶつ):自分の中にある仏心を自覚する。

前述の通り、日常生活の全てが修行ですので、この4ワードは念頭に置いて、日々の暮らしを丁寧に行いたいものですね。

また禅を象徴する、坐禅や禅問答、禅語は大切なことを教えてくれます。

坐禅は、静かに坐ることで、日常では感情のままに流されている自分を客観的にとらえ、奥に隠れている自己の存在を知ることができます。
つまり、自分が何にとらわれていて何に執着しているのかを教えてくれます。
ついつい、何も考えない”無”の状態を維持しようと思っても、自然と何かを考えてしまうものです。
その何かを見つめることで、その時の状態を客観的にとらえることが出来るわけですね。

禅問答は、公案(こうあん)とも言いますが、臨済宗の修行では、修行老師から弟子へ問題が出され1対1で言葉で回答する、というやり取りをします。
禅のテキストと言われる『無門関(むもんかん)』『臨済録(りんざいろく)』『碧巌録(へきがんろく)』等から出題され、同じ答えでも、ちゃんと理解されているかどうか確かめられるようです。
このやり取りの中で、次第に禅の体得へ導かれるものとされています。

ここで、代表的な公案をいくつか紹介します。
1.趙州洗鉢(じょうしゅうせんぱつ)-『無門関』第7則より
入門したての僧が、趙州和尚に尋ねた。
「私は修行に入ったばかりの者です。どうか、仏教の根本を教えて下さい。」
「朝の食事は終わったのか、まだか。」
「はい、食べ終わりました。」
「それならば、自分の茶碗を洗いなさい。」

2.無寒暑(むかんじょ)-『碧巌録』第46則
ある僧が、洞山和尚に尋ねた。
「ひどい寒さや暑さが到来したときには、どう避ければいいのですか。」
「寒さや暑さのない世界に行ってしまえばいいではないか。」
「どこにあるのですか、そんな世界は。」
「寒いときには、寒さでお前を殺し、暑いと感じたときには、暑さでお前を殺せばいい。それが寒さや暑さのない世界だ。」

3.日々是好日(にちにちこれこうにち)-『碧巌録』第6則
雲門和尚が、弟子たちに向かって言った。
「過去の日々のことは、もう問わない。これからの15日間の日々の中で、なにが一番大切なことなのか。一句にして持ってこい。」
しかし、15日たっても、誰もその一句を作ることが出来なかった。そこで雲門は、自分で一句を作って、弟子たちに見せた。
「日々是好日。」

どれも大切な教えで、自分の解釈ですが、
1は、”まず今やるべきことをきちんとやれ””当たり前のことを当たり前に”
2は,”どんなに抵抗を覚えることでも、まずは自分の感情を捨てて、それらと一体となって、そのうえで自分なりに乗り越えていけ”
3は、割りと有名な禅語でもありますが、”毎日が良い日だろうが悪い日だろうが、良い日だと受け止め向上していけ”
という、現代社会にも当てはまる考え方だと思います。


何かと忙しくてストレスが溜まりやすかったり、他人に振り回されて自分を見失ったりする現代社会に、アップル社設立者、スティーブ・ジョブズや、グーグル社会長、エリック・シュミットのように、
日常生活の中に禅を取り入れる人や企業が存在している理由が何となくわかった気がしました。

2016年5月23日月曜日

臨済寺へ。


先週のことですが、5月19日に静岡にある臨済寺に行ってきました。
臨済寺は、今川義元公の菩提寺であり、家康公が今川家の人質だった頃に住職であり軍師でもあった太原雪斎禅師に学問の手ほどきをうけたお寺。
また、臨済宗妙心寺派のお寺で、全国各地から修行僧が集まる専門道場。
修行に専念できるように、普段は拝観出来ませんが、義元公の命日である5月19日に一般公開され見学することができます。

本堂では、義元公や、雪斎長老の像と会うことができました。
伽藍の最上部にある茶室からは日本庭園や、静岡の町並みが見渡せました。


竹千代君が勉強した部屋が復元されています。

ちなみに今回訪問の目的は、近い将来に入門する修行道場が決まっていないため、候補地の一つであるお寺の下見です。
幸運なことに、この春に入門したばかりの修行僧とお話することができました。
・観光地ではないため、修行に集中できる環境にある。
・修行僧は10名で、10代から50代まで幅広い修行僧がいる。
・修行に専念するため、携帯電話は没収。。。

修行に専念できて、年代も幅広く、お寺の息子もいれば在家から出家された修行僧もいるような多様性のある環境は魅力的ですね。
年2回の観光地としても修行道場としても、すごく立派で洗練されたお寺でした。

次回の一般公開は10月15日です。

2016年5月10日火曜日

般若心経

日本で一番親しまれているお経、般若心経。
皆さんも、一度は読んだり聞いたりしたことがあるのではないでしょうか。
では、有名な般若心経ですが、どんなお経なのか意味を知っていますか。

般若心経は、観音様が舎利子というお釈迦様の弟子に対して、お釈迦様の教えを説いたお経です。
冒頭の「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」にもあるように、
・仏説:仏様が説く
・摩訶:ものすごい
・般若:智慧
   ※語源はサンスクリット語の「プラジュニャー」。プラ=極めて、ジュニャー=知るという意味。
   「プラジュニャー」が俗語の「パンニャー」になって「般若」と漢訳された。
・波羅蜜多:悟りを開く
   ※語源はサンスクリット語の「パラミータ」。パラ=彼岸(向こう側)、ミータ=渡るという意味。
   三途の川の向こう側に渡って悟りを開く。俗語の「パラミタ」になって「波羅蜜多」と漢訳された。
・心経:核心のお経
となり、一気に訳すと、「仏様が説く、仏様の智慧で悟りを開く核心をついたすごいお経」という意味になります。
何だかありがたい気がしてきます。

あと、般若心経の特徴は、仏教の根幹をなす”空”の哲学を説いていること。
この世の全ては”空”で実体がない、これに気づけば最高の智慧に達する、というものです。
”空”とは変化するということ。平家物語の冒頭に登場する”諸行無常”とも同義だと言えます。

それが何なんだ、ということになりますが、般若心経で”空”の哲学を説明するフレーズを紹介します。
・色即是空(しきそくぜくう):形あるもの(=色)は、即ち全て変化した結果、無くなる(=空)。
・空即是色(くうそくぜしき):変化して無くなった(=空)結果、様々な形あるもの(=色)が生まれてくる。
・五蘊皆空(ごうんかいくう):五蘊(=受:感じること、想:想像すること、行:行うこと、識:知覚すること、色:形あるもの)は、みんな無くなる(=空)。
 
ここからは私の解釈ですが、
だからこそ、無常の真理を受け止めて、目の前の一瞬一瞬、一日一日を大切にしよう。
辛いことや嫌なことがあっても、いつか終わるから踏ん張ろう。
生まれては滅びる無常の中で、無数の条件とご縁が重なって生まれたこと、今ここに居られることに感謝しよう。
と前向きにも穏やかな気持ちにもなれるお経だと思っています。

比較的短いお経なのですが、今の私にとって、お経の意味全て理解は出来ていません。。。
今回理解したことをベースに、もっと深いところまで理解できるように、日々、修行を積み重ねていきます。

2016年5月7日土曜日

日本仏教史まとめ

仏教とは何か、禅とは何か、寺院とは何か、ちゃんと理解して人に伝えられるようになるには、どうすれば良いのか。
残念ながら、全くわかりません。。。
まずは出来るところから、ということで日本における仏教の歴史についてまとめてみました。

<飛鳥時代>
日本に仏教が伝来したのは飛鳥時代。朝鮮半島との繋がりを強くするために仏教を推進する蘇我氏が、物部氏を滅ぼしたことで、仏教を導入。その後、仏教を広めたのは聖徳太子。教科書でも習った17条の憲法の第2条「篤く三宝を敬へ。三宝とは仏法僧なり。」と示すように、仏教を国民の心の支えにしようとしました。

<奈良時代>
奈良時代になると、聖武天皇の時代に国家を鎮護するために仏教が盛んになります。科学が発達していない時代に自然災害や疫病の流行は神仏に祈るしかなく国家を鎮護するため利用されました。

<平安時代>
最澄と空海という日本仏教界の英雄の登場。
最澄は天台宗の開祖であり、比叡山に延暦寺を開山。後の平安末期から鎌倉時代にかけて、多くの有能な弟子を輩出しました。一方、空海は真言宗の開祖であり、高野山に金剛峰寺を開山。真言密教を確立しました。

<鎌倉時代>
国家権力階級の朝廷や貴族たちではなく、一般階級や武士階級を対象とする新しい仏教の教えが登場。その代表例が浄土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗など。特徴は、”わかりやすさ”に尽きます。
浄土宗や浄土真宗は、難しい学問やお経の理解は必要ない。ただ「南無阿弥陀仏」という阿弥陀仏の慈悲を信じ、念仏を唱えれば良いのです。
禅宗である臨済宗、曹洞宗は、日常生活そのものを仏教の実践活動と見なすことで、武士や農民の支持を得ることに成功しました。
日蓮宗は「南無妙法蓮華」を唱えることで、全ての人間が救われると説きました。

<室町〜安土桃山時代>
幕府に保護された臨済宗が全国的に武士を中心に広まった時代。京都の金閣寺、銀閣寺は臨済宗のお寺で当時の繁栄を象徴しています。
ちなみに、この時代に実家の禅寺が開山されています。

<江戸時代>
戦国時代が終わり、260年余に及ぶ徳川政権による対仏教政策と対キリスト教政策が同時並行的に巧みに行われた時代。
1637年に起こった島原の乱をきっかけに、家康はキリシタンの弾圧を厳しくしました。こうした幕府のキリシタン弾圧に協力させられたのが、キリスト教の競争相手となるお寺でした。幕府はキリシタンに仏教徒への改宗を命じ、誰もが必ずどこかのお寺の信者となることを義務化し、これが檀家制度の始まりです。また幕府はお寺に当時の戸籍の発行ができる権限を与え、行政機関の仕事を肩代わりすることの見返りとして、檀家による菩提寺への定期的な参拝や布施を義務化するなどして収入の安定を与えたのです。
徳川幕府が採用した宗教政策によって、国民は信仰を選択することができなくなり、お寺は飴を与えられ骨抜きにされました。
檀家制度によって信者が確保されたので、住職の仕事は仏教の教義を信者に伝えるよりも檀家からの布施収入を増やすことが重要となりました。

<明治時代>
こうしたお寺のあり方に対する潜在的な不満が明治維新後に爆発することになります。きっかけは明治政府が1868年に発した神仏分離令。これにより廃仏棄釈までエスカレート。私の実家の周辺にも以前は5つのお寺があったのですが、廃仏棄釈により3つも壊されたようです。。。
続いて明治政府は神道を定着させるため、僧侶の世俗化を図ります。1872年に僧侶が肉を食べること、妻帯すること、髪を伸ばすことを許します。これにより世襲制が可能となりました。

<昭和時代>
戦後、お寺にとって苦難の時期。民主化政策の一環として、1945〜1946年に実施された農地解放により、お寺は所有していた農地の大半を失いました。お寺の中には、農地からあがってくる不動産収入に頼っていたところも多かったため深刻な収入不足に陥るお寺が続出しました。もう一つは、新興宗教の台頭です。明治政府が信仰の自由を認めたことによって多くの新興宗教が誕生しました。江戸時代以来、地域密着の葬祭事業者の面が強くなってしまったお寺は、顧客のニーズに応えられるような宗教活動を提供できなくなっていました。

以上のように、これまでの日本における仏教史を振り返って改めて実感できるのは、江戸時代の檀家制度が非常に強い影響を持ったということです。明治時代に入って、檀家制度は廃止されたものの現在も檀家制度は存続し根強く残っています。
檀家制度は地域コミュニティが堅固なうちは機能し続けますが、この先の人口減少、核家族化という世の中の変化によって、檀家と菩提寺の関係も崩しつつあります。
住職が葬儀・法事だけしていては、寺離れがますます進むのは容易に予測出来ます。

では、この先住職としてどうあるべきか。少なくとも葬儀・法事事業者のみであってはいけないですね。大乗仏教の目的は苦しむ人々を救済することです。何かとストレスを抱え苦しんでいる現代人に仏教本来の教義を広める道を考えていきます。例えば、宿坊、座禅体験、お経講座、音楽ライブ等、、、お寺だからできること、禅寺だからできることを見つけていきます。

2016年4月26日火曜日

宗派について

突然ですが、仏教徒の皆さんへお尋ねします。
皆さんの菩提寺(先祖代々の墓をおき,葬式や法事を行うお寺)は何宗ですか?
日常会話で、たびたび宗派の話になるんですが、ご存知無い方が多くいらっしゃいます。
感覚的な数字ですが、大体半々くらい。特に若い方はほとんどご存知無いですね。
それだけ、宗教に対して興味が持たれていないことなのでしょう。

ちなみに、私の実家の禅寺は臨済宗妙心寺派という宗派です。
色々と調べてみると、岐阜や愛知などの東海エリアには、なぜか臨済宗妙心寺派が多いです。
なぜだと思いますか?

まず、臨済宗は武士に支持されたと言われています。
禅特有のストイックな精神性、最先端の文化(庭園、茶、能など)、既成教団(天台宗・真言宗など)と深く結びついていた貴族への対抗、”不立文字、教外別伝、即心是仏”(文字によって教えを立てず、教義や文字にとらわれずに、心をもって心を伝え、人間が備えている仏性を見出すことが禅の目的である。)という思想が、武家政権にとって最も必要とされたためと言われています。
また、東海エリアといえば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、今川義元といった名立たる武将のお膝元ですので、納得できます。

次に、妙心寺派を開山した関山慧玄(かんざんえげん)禅師は、岐阜にある正眼寺(現在:岐阜県美濃加茂市)で修行され、その弟子たちが正眼寺周辺に臨済宗妙心寺派のお寺を開山した、と言われています。
恐らく実家の寺もその一つなのだと思われます。

では他の地域ではどうか。
広島や島根などの中国地方では浄土真宗が多く、それは毛利氏や尼子氏が保護したからだと言われています。
浄土真宗門徒による一向一揆を恐れ、毛利氏や尼子氏などの諸大名はいずれも真宗門徒に対する無謀な弾圧策をとらず、逆にこれを自軍の配下にくみ込み、その工ネルギーを利用しようとしたそうです。

以上のように、宗派を知ることは歴史を知ることになるので、非常に興味深いです。

恐らく各地域でも、それぞれその宗派である理由が存在するはずです。
皆さんの菩提寺は何宗なのか、なぜその宗派なのか、調べてみると意外な発見があるかもしれませんね。

2016年4月22日金曜日

ブログ始めました。

はじめまして。まさどんと言います。
今日からブログを始めることにしました。

私は岐阜県の山中にある禅寺を継ぐつもりで、13年振りに岐阜に戻ってきました。
しかし大きな声では言えませんが、お恥ずかしながら仏教や禅のことを全く勉強してこなかったため、ゼロからのスタートです。

仏教といえば、どんなイメージを持たれますか。
葬式や法事、胡散臭い、何となく関わりづらい、、、というマイナスイメージを持っている人は多くいらっしゃることと思います。
私も以前はそうでした。
でも最近は辛い時や余裕が無い時に、禅の言葉を思い出して落ち着かせることがあるように、今を生きる人にとって前向きになれる、楽になれる手助けをしてくれるのも仏教や禅だと思うようになりました。

禅寺の長男として生まれたことを宿命だと思って、日々、仏教や禅に触れるなかで、禅とは何か、一人の宗教家として社会に対して何ができるのか、じっくり考えていきます。
プロムナードとは”散歩”という意味。楽しみながら散歩する感覚で、ふらっとブログに立ち寄って頂けると嬉しいです。

ローマは一日にして成らず、住職も一日にして成らず。