今回のテーマは、禅について。
禅に対して、どんなイメージをされますか。
「坐禅でビシビシ打たれる。」
「禅問答で、”無とは何か?”など、わけのわからないやりとりをする。」
「厳しい修行をする。」
何となく難しそう、というイメージを持たれている方が多いと思います。
禅とは、本を読むだけでは到底理解出来ないくらい奥深いものらしいのですが、
平たく言うと”心おだやかに生きる智慧”のようです。
禅では、”日常生活の全てが修行”という考えですので、日々の暮らしを丁寧に行っていくことで、
周りや他人に振り回されることなく、自分らしく素直に生きることの大切さを身につけていくことが出来るようになるとのこと。
禅の教えを示すキーワードとして、以下の4つが挙げられます。
・不立文字(ふりゅうもんじ):文字にとらわれず、感性を研ぎ澄ます精神修行に励む。
・教外別伝(きょうげべつでん):文字や言葉では伝わらないお釈迦様の教えを心と体で受け止める。
・直指人心(じきしにんしん):心を濁らす雑念を取り除き、ありのままの自分を見つめる。
・見性成仏(けんしょうじょうぶつ):自分の中にある仏心を自覚する。
前述の通り、日常生活の全てが修行ですので、この4ワードは念頭に置いて、日々の暮らしを丁寧に行いたいものですね。
また禅を象徴する、坐禅や禅問答、禅語は大切なことを教えてくれます。
坐禅は、静かに坐ることで、日常では感情のままに流されている自分を客観的にとらえ、奥に隠れている自己の存在を知ることができます。
つまり、自分が何にとらわれていて何に執着しているのかを教えてくれます。
ついつい、何も考えない”無”の状態を維持しようと思っても、自然と何かを考えてしまうものです。
その何かを見つめることで、その時の状態を客観的にとらえることが出来るわけですね。
禅問答は、公案(こうあん)とも言いますが、臨済宗の修行では、修行老師から弟子へ問題が出され1対1で言葉で回答する、というやり取りをします。
禅のテキストと言われる『無門関(むもんかん)』『臨済録(りんざいろく)』『碧巌録(へきがんろく)』等から出題され、同じ答えでも、ちゃんと理解されているかどうか確かめられるようです。
このやり取りの中で、次第に禅の体得へ導かれるものとされています。
ここで、代表的な公案をいくつか紹介します。
1.趙州洗鉢(じょうしゅうせんぱつ)-『無門関』第7則より
入門したての僧が、趙州和尚に尋ねた。
「私は修行に入ったばかりの者です。どうか、仏教の根本を教えて下さい。」
「朝の食事は終わったのか、まだか。」
「はい、食べ終わりました。」
「それならば、自分の茶碗を洗いなさい。」
2.無寒暑(むかんじょ)-『碧巌録』第46則
ある僧が、洞山和尚に尋ねた。
「ひどい寒さや暑さが到来したときには、どう避ければいいのですか。」
「寒さや暑さのない世界に行ってしまえばいいではないか。」
「どこにあるのですか、そんな世界は。」
「寒いときには、寒さでお前を殺し、暑いと感じたときには、暑さでお前を殺せばいい。それが寒さや暑さのない世界だ。」
3.日々是好日(にちにちこれこうにち)-『碧巌録』第6則
雲門和尚が、弟子たちに向かって言った。
「過去の日々のことは、もう問わない。これからの15日間の日々の中で、なにが一番大切なことなのか。一句にして持ってこい。」
しかし、15日たっても、誰もその一句を作ることが出来なかった。そこで雲門は、自分で一句を作って、弟子たちに見せた。
「日々是好日。」
どれも大切な教えで、自分の解釈ですが、
1は、”まず今やるべきことをきちんとやれ””当たり前のことを当たり前に”
2は,”どんなに抵抗を覚えることでも、まずは自分の感情を捨てて、それらと一体となって、そのうえで自分なりに乗り越えていけ”
3は、割りと有名な禅語でもありますが、”毎日が良い日だろうが悪い日だろうが、良い日だと受け止め向上していけ”
という、現代社会にも当てはまる考え方だと思います。
何かと忙しくてストレスが溜まりやすかったり、他人に振り回されて自分を見失ったりする現代社会に、アップル社設立者、スティーブ・ジョブズや、グーグル社会長、エリック・シュミットのように、
日常生活の中に禅を取り入れる人や企業が存在している理由が何となくわかった気がしました。
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