2016年7月27日水曜日

遂にデビュー

岐阜に帰ってもうすぐで4ヶ月が経ちます。
まずは守破離の「守」ということで、師匠による指導の下、作務(さむ:掃除など)、勤行(ごんぎょう:読経や坐禅など)、学問など修行を通じて仏教や禅と向き合ってきました。

まだ修行道場の経験がないため、葬儀や法要の勤めは出来ないこともあり、僧侶として表に立つことはありませんでしたが、遂にデビューです。

毎年8月に「施餓鬼会(せがきえ)」という檀家の方々が80~100名ほど集まる寺の行事があるのですが、施餓鬼会でお勤めさせて頂くことになりました。

ちなみに、餓鬼とは、生前の悪行によって成仏していない霊や魂の事を言い、常に飢えと乾きに苦しんでいる者を指します。施餓鬼とは、そういう者たちにも食べ物や飲み物などの供物を施すことで餓鬼の供養を行う法要行事です。

私の担当は、開会時の太鼓と、読経時の木魚。
叩くだけか、と最初は思いましたが、その叩くだけがなかなか上手くいかないものです。。。
上達するためにはとにかく経験!

太鼓と木魚は、新人や若手の仕事。
社会人経験でいうと10年という中堅ですが、僧侶では1年生。
小学校・中学校・高校・大学・社会人・大学院など、過去全てそうでしたが、期待と不安が入り混じって常にそのバランスが揺れ動く1年生の時期が好きです。
今もそう。きっと未知の世界が好奇心をそそるのでしょうね。

まずは施餓鬼会で与えられた役割を完璧にこなすこと!
残り3週間、、、。

2016年7月15日金曜日

おてらおやつクラブ

お寺として地域社会とどう関わるか、どう役に立てるか。
答えは一つではなくいくつもあり、自分なりの答えを探している最中です。

その答えの一つになるかもしれない。

先日、SNSで『おてらおやつクラブ』の存在を知り、活動に参加させていただくことになりました。

おてらおやつクラブは、お寺へのお供え物を、仏さまからのお下がりとして頂戴し、
経済的に困難な状況にあるご家庭へおすそわけする活動。
全国379カ所のお寺が登録されているとのこと。(2016年7月15日現在)
http://otera-oyatsu.club/



日本の子どもは6人に1人が貧困層にあたり、その割合は増え続けているという。
正直なところ、まだ実感がなく、この活動によって、どれほど役に立てているのか、
半信半疑ではありますが、”継続は力なり”という言葉にもあるように、
活動を続けることに意義があると思うので、何かしらの結果が出るまでの一定期間は続けることにします。

あと、この活動の可能性を感じているのは、お寺同士、横の連携が出来ることです。
同じ宗派であれば繋がりがあるのですが、宗派が異なると、ほとんど繋がりがないのが現状です。
読むお経は違えども、目指しているものが近ければ連携した方がお互いにとって良いはず。

いきなり大きなことはできませんが、小さなことからコツコツと。

2016年7月1日金曜日

お寺のルーツ

観光などでお寺参りをすると、
”このお寺の創立は◯◯年で、●●という歴史があって、、、”
という説明書きがあったり、住職が説明されることがよくあると思います。

先日、同じ宗派のお寺参りをした時もそうでした。

では、実家のお寺はどうかというと、
住職が祖父の頃までは、子どもながら何となく記憶がありますが、それ以前のことは全く聞いたこともなく、知りませんでした、、、。

無性にツールを知りたいという意欲を掻き立てられ、最近はお寺のルーツについて研究しています。

漢文で書かれた昔の書物を解読することになるので、一度読んだけだけでは理解ができず、何度も読み返すうちに理解できたり、違う箇所に書かれた文章が繋がったりして、謎解きゲームのようでなかなか楽しいです笑

まず、村誌によると、由緒は不明ですが、室町時代の1532~1558年に創立したようです。
そして、12世住職が残された寺籍録によると、江戸時代の火災での全焼、明治時代の廃仏毀釈による破壊という2度の危機的状況を、当時の住職の努力や、檀家やご近所の方々によって支えられ、乗り越えてきたという事実も知りました。
今の本堂は明治33年(1900年)築で、明治の復興の際に建てられたということになります。
また、江戸時代、村内には4箇所お寺がありましたが、廃仏毀釈によって復興したお寺は2箇所、残りの2箇所は廃寺になったそうです。。。

奥が本堂。

12世住職直筆の寺籍録。

でも、書物だけでは限界があります。分からないことだらけです。。。
今の住職に聞いても分からない。どうしたものかと困っていたら、
12世住職の娘さんがご健在であると風の便りに聞き、居場所を教えてもらい会いに行ってきました。

戦前の頃は小僧さんと共同生活をしていたこと、
戦前は、かなりの農地を持っていたが、戦後の農地開放政策により農地を手放したこと、
人が集まりやすくするためにお寺の移転計画があったこと、
12世住職が住職だった頃は移動手段がなかったため、山を越え谷を越え、ひたすら歩いて檀家さんのお宅まで通ったこと、
などなど、22歳まで過ごされていた方ならではのリアルなお話がお聞き出来ました。

現在14世。
私が継ぐことになれば15代目ということになります。

先代の住職はどんな想いで毎日のお勤めをされ、また数々の困難乗り越えられてこられたのでしょう。
先代住職の想いに馳せながら、日々の精進に心がけていくことを再認識した今日この頃です。