2016年5月25日水曜日

禅とは何か。

今回のテーマは、禅について。
禅に対して、どんなイメージをされますか。
「坐禅でビシビシ打たれる。」
「禅問答で、”無とは何か?”など、わけのわからないやりとりをする。」
「厳しい修行をする。」
何となく難しそう、というイメージを持たれている方が多いと思います。

禅とは、本を読むだけでは到底理解出来ないくらい奥深いものらしいのですが、
平たく言うと”心おだやかに生きる智慧”のようです。
禅では、”日常生活の全てが修行”という考えですので、日々の暮らしを丁寧に行っていくことで、
周りや他人に振り回されることなく、自分らしく素直に生きることの大切さを身につけていくことが出来るようになるとのこと。

禅の教えを示すキーワードとして、以下の4つが挙げられます。
・不立文字(ふりゅうもんじ):文字にとらわれず、感性を研ぎ澄ます精神修行に励む。
・教外別伝(きょうげべつでん):文字や言葉では伝わらないお釈迦様の教えを心と体で受け止める。
・直指人心(じきしにんしん):心を濁らす雑念を取り除き、ありのままの自分を見つめる。
・見性成仏(けんしょうじょうぶつ):自分の中にある仏心を自覚する。

前述の通り、日常生活の全てが修行ですので、この4ワードは念頭に置いて、日々の暮らしを丁寧に行いたいものですね。

また禅を象徴する、坐禅や禅問答、禅語は大切なことを教えてくれます。

坐禅は、静かに坐ることで、日常では感情のままに流されている自分を客観的にとらえ、奥に隠れている自己の存在を知ることができます。
つまり、自分が何にとらわれていて何に執着しているのかを教えてくれます。
ついつい、何も考えない”無”の状態を維持しようと思っても、自然と何かを考えてしまうものです。
その何かを見つめることで、その時の状態を客観的にとらえることが出来るわけですね。

禅問答は、公案(こうあん)とも言いますが、臨済宗の修行では、修行老師から弟子へ問題が出され1対1で言葉で回答する、というやり取りをします。
禅のテキストと言われる『無門関(むもんかん)』『臨済録(りんざいろく)』『碧巌録(へきがんろく)』等から出題され、同じ答えでも、ちゃんと理解されているかどうか確かめられるようです。
このやり取りの中で、次第に禅の体得へ導かれるものとされています。

ここで、代表的な公案をいくつか紹介します。
1.趙州洗鉢(じょうしゅうせんぱつ)-『無門関』第7則より
入門したての僧が、趙州和尚に尋ねた。
「私は修行に入ったばかりの者です。どうか、仏教の根本を教えて下さい。」
「朝の食事は終わったのか、まだか。」
「はい、食べ終わりました。」
「それならば、自分の茶碗を洗いなさい。」

2.無寒暑(むかんじょ)-『碧巌録』第46則
ある僧が、洞山和尚に尋ねた。
「ひどい寒さや暑さが到来したときには、どう避ければいいのですか。」
「寒さや暑さのない世界に行ってしまえばいいではないか。」
「どこにあるのですか、そんな世界は。」
「寒いときには、寒さでお前を殺し、暑いと感じたときには、暑さでお前を殺せばいい。それが寒さや暑さのない世界だ。」

3.日々是好日(にちにちこれこうにち)-『碧巌録』第6則
雲門和尚が、弟子たちに向かって言った。
「過去の日々のことは、もう問わない。これからの15日間の日々の中で、なにが一番大切なことなのか。一句にして持ってこい。」
しかし、15日たっても、誰もその一句を作ることが出来なかった。そこで雲門は、自分で一句を作って、弟子たちに見せた。
「日々是好日。」

どれも大切な教えで、自分の解釈ですが、
1は、”まず今やるべきことをきちんとやれ””当たり前のことを当たり前に”
2は,”どんなに抵抗を覚えることでも、まずは自分の感情を捨てて、それらと一体となって、そのうえで自分なりに乗り越えていけ”
3は、割りと有名な禅語でもありますが、”毎日が良い日だろうが悪い日だろうが、良い日だと受け止め向上していけ”
という、現代社会にも当てはまる考え方だと思います。


何かと忙しくてストレスが溜まりやすかったり、他人に振り回されて自分を見失ったりする現代社会に、アップル社設立者、スティーブ・ジョブズや、グーグル社会長、エリック・シュミットのように、
日常生活の中に禅を取り入れる人や企業が存在している理由が何となくわかった気がしました。

2016年5月23日月曜日

臨済寺へ。


先週のことですが、5月19日に静岡にある臨済寺に行ってきました。
臨済寺は、今川義元公の菩提寺であり、家康公が今川家の人質だった頃に住職であり軍師でもあった太原雪斎禅師に学問の手ほどきをうけたお寺。
また、臨済宗妙心寺派のお寺で、全国各地から修行僧が集まる専門道場。
修行に専念できるように、普段は拝観出来ませんが、義元公の命日である5月19日に一般公開され見学することができます。

本堂では、義元公や、雪斎長老の像と会うことができました。
伽藍の最上部にある茶室からは日本庭園や、静岡の町並みが見渡せました。


竹千代君が勉強した部屋が復元されています。

ちなみに今回訪問の目的は、近い将来に入門する修行道場が決まっていないため、候補地の一つであるお寺の下見です。
幸運なことに、この春に入門したばかりの修行僧とお話することができました。
・観光地ではないため、修行に集中できる環境にある。
・修行僧は10名で、10代から50代まで幅広い修行僧がいる。
・修行に専念するため、携帯電話は没収。。。

修行に専念できて、年代も幅広く、お寺の息子もいれば在家から出家された修行僧もいるような多様性のある環境は魅力的ですね。
年2回の観光地としても修行道場としても、すごく立派で洗練されたお寺でした。

次回の一般公開は10月15日です。

2016年5月10日火曜日

般若心経

日本で一番親しまれているお経、般若心経。
皆さんも、一度は読んだり聞いたりしたことがあるのではないでしょうか。
では、有名な般若心経ですが、どんなお経なのか意味を知っていますか。

般若心経は、観音様が舎利子というお釈迦様の弟子に対して、お釈迦様の教えを説いたお経です。
冒頭の「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」にもあるように、
・仏説:仏様が説く
・摩訶:ものすごい
・般若:智慧
   ※語源はサンスクリット語の「プラジュニャー」。プラ=極めて、ジュニャー=知るという意味。
   「プラジュニャー」が俗語の「パンニャー」になって「般若」と漢訳された。
・波羅蜜多:悟りを開く
   ※語源はサンスクリット語の「パラミータ」。パラ=彼岸(向こう側)、ミータ=渡るという意味。
   三途の川の向こう側に渡って悟りを開く。俗語の「パラミタ」になって「波羅蜜多」と漢訳された。
・心経:核心のお経
となり、一気に訳すと、「仏様が説く、仏様の智慧で悟りを開く核心をついたすごいお経」という意味になります。
何だかありがたい気がしてきます。

あと、般若心経の特徴は、仏教の根幹をなす”空”の哲学を説いていること。
この世の全ては”空”で実体がない、これに気づけば最高の智慧に達する、というものです。
”空”とは変化するということ。平家物語の冒頭に登場する”諸行無常”とも同義だと言えます。

それが何なんだ、ということになりますが、般若心経で”空”の哲学を説明するフレーズを紹介します。
・色即是空(しきそくぜくう):形あるもの(=色)は、即ち全て変化した結果、無くなる(=空)。
・空即是色(くうそくぜしき):変化して無くなった(=空)結果、様々な形あるもの(=色)が生まれてくる。
・五蘊皆空(ごうんかいくう):五蘊(=受:感じること、想:想像すること、行:行うこと、識:知覚すること、色:形あるもの)は、みんな無くなる(=空)。
 
ここからは私の解釈ですが、
だからこそ、無常の真理を受け止めて、目の前の一瞬一瞬、一日一日を大切にしよう。
辛いことや嫌なことがあっても、いつか終わるから踏ん張ろう。
生まれては滅びる無常の中で、無数の条件とご縁が重なって生まれたこと、今ここに居られることに感謝しよう。
と前向きにも穏やかな気持ちにもなれるお経だと思っています。

比較的短いお経なのですが、今の私にとって、お経の意味全て理解は出来ていません。。。
今回理解したことをベースに、もっと深いところまで理解できるように、日々、修行を積み重ねていきます。

2016年5月7日土曜日

日本仏教史まとめ

仏教とは何か、禅とは何か、寺院とは何か、ちゃんと理解して人に伝えられるようになるには、どうすれば良いのか。
残念ながら、全くわかりません。。。
まずは出来るところから、ということで日本における仏教の歴史についてまとめてみました。

<飛鳥時代>
日本に仏教が伝来したのは飛鳥時代。朝鮮半島との繋がりを強くするために仏教を推進する蘇我氏が、物部氏を滅ぼしたことで、仏教を導入。その後、仏教を広めたのは聖徳太子。教科書でも習った17条の憲法の第2条「篤く三宝を敬へ。三宝とは仏法僧なり。」と示すように、仏教を国民の心の支えにしようとしました。

<奈良時代>
奈良時代になると、聖武天皇の時代に国家を鎮護するために仏教が盛んになります。科学が発達していない時代に自然災害や疫病の流行は神仏に祈るしかなく国家を鎮護するため利用されました。

<平安時代>
最澄と空海という日本仏教界の英雄の登場。
最澄は天台宗の開祖であり、比叡山に延暦寺を開山。後の平安末期から鎌倉時代にかけて、多くの有能な弟子を輩出しました。一方、空海は真言宗の開祖であり、高野山に金剛峰寺を開山。真言密教を確立しました。

<鎌倉時代>
国家権力階級の朝廷や貴族たちではなく、一般階級や武士階級を対象とする新しい仏教の教えが登場。その代表例が浄土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗など。特徴は、”わかりやすさ”に尽きます。
浄土宗や浄土真宗は、難しい学問やお経の理解は必要ない。ただ「南無阿弥陀仏」という阿弥陀仏の慈悲を信じ、念仏を唱えれば良いのです。
禅宗である臨済宗、曹洞宗は、日常生活そのものを仏教の実践活動と見なすことで、武士や農民の支持を得ることに成功しました。
日蓮宗は「南無妙法蓮華」を唱えることで、全ての人間が救われると説きました。

<室町〜安土桃山時代>
幕府に保護された臨済宗が全国的に武士を中心に広まった時代。京都の金閣寺、銀閣寺は臨済宗のお寺で当時の繁栄を象徴しています。
ちなみに、この時代に実家の禅寺が開山されています。

<江戸時代>
戦国時代が終わり、260年余に及ぶ徳川政権による対仏教政策と対キリスト教政策が同時並行的に巧みに行われた時代。
1637年に起こった島原の乱をきっかけに、家康はキリシタンの弾圧を厳しくしました。こうした幕府のキリシタン弾圧に協力させられたのが、キリスト教の競争相手となるお寺でした。幕府はキリシタンに仏教徒への改宗を命じ、誰もが必ずどこかのお寺の信者となることを義務化し、これが檀家制度の始まりです。また幕府はお寺に当時の戸籍の発行ができる権限を与え、行政機関の仕事を肩代わりすることの見返りとして、檀家による菩提寺への定期的な参拝や布施を義務化するなどして収入の安定を与えたのです。
徳川幕府が採用した宗教政策によって、国民は信仰を選択することができなくなり、お寺は飴を与えられ骨抜きにされました。
檀家制度によって信者が確保されたので、住職の仕事は仏教の教義を信者に伝えるよりも檀家からの布施収入を増やすことが重要となりました。

<明治時代>
こうしたお寺のあり方に対する潜在的な不満が明治維新後に爆発することになります。きっかけは明治政府が1868年に発した神仏分離令。これにより廃仏棄釈までエスカレート。私の実家の周辺にも以前は5つのお寺があったのですが、廃仏棄釈により3つも壊されたようです。。。
続いて明治政府は神道を定着させるため、僧侶の世俗化を図ります。1872年に僧侶が肉を食べること、妻帯すること、髪を伸ばすことを許します。これにより世襲制が可能となりました。

<昭和時代>
戦後、お寺にとって苦難の時期。民主化政策の一環として、1945〜1946年に実施された農地解放により、お寺は所有していた農地の大半を失いました。お寺の中には、農地からあがってくる不動産収入に頼っていたところも多かったため深刻な収入不足に陥るお寺が続出しました。もう一つは、新興宗教の台頭です。明治政府が信仰の自由を認めたことによって多くの新興宗教が誕生しました。江戸時代以来、地域密着の葬祭事業者の面が強くなってしまったお寺は、顧客のニーズに応えられるような宗教活動を提供できなくなっていました。

以上のように、これまでの日本における仏教史を振り返って改めて実感できるのは、江戸時代の檀家制度が非常に強い影響を持ったということです。明治時代に入って、檀家制度は廃止されたものの現在も檀家制度は存続し根強く残っています。
檀家制度は地域コミュニティが堅固なうちは機能し続けますが、この先の人口減少、核家族化という世の中の変化によって、檀家と菩提寺の関係も崩しつつあります。
住職が葬儀・法事だけしていては、寺離れがますます進むのは容易に予測出来ます。

では、この先住職としてどうあるべきか。少なくとも葬儀・法事事業者のみであってはいけないですね。大乗仏教の目的は苦しむ人々を救済することです。何かとストレスを抱え苦しんでいる現代人に仏教本来の教義を広める道を考えていきます。例えば、宿坊、座禅体験、お経講座、音楽ライブ等、、、お寺だからできること、禅寺だからできることを見つけていきます。